大阪府豊中市で育まれた、優しさと人柄に触れ、
関西人に大事にされた経験から・・・
1998年の長野冬季オリンピック、パラリンピックが開催され閉幕した頃の明る月の4月1日に新卒で大阪府豊中市のアーケード街のある様な閑静な下町で近くに豊南市場のある一画の老舗治療院で既に開業30年以上になる約30名程の視覚に障害のある方々だけが勤務する治療院に入社しました。
ベテランは40年以上の方から私の様に新卒者が4、5人いる様な大勢のスタッフの居る治療院でした。
性格も色々で暗い人から優しく接する人や人懐っこい方々など老若男女あらゆる性格の方々が居られました。
お客様も細かい人からお節介やきから面倒みの良い方々までこれも多種多様でした。
そんな中、中部地方の長野県から入社したのは私一人で残るは関西、近畿、山陰、九州の方々ばかりの施設でした。
1995年、未曾有の阪神淡路大震災から約3年後の被災の大きかった地域で働く事になり私自身の想いは被災され疲弊した方々の心と身体のケアが出来たら良いな?少しでもサポート出来たら嬉しいな?
そんな想いで関西の職場を選びました。
そんな想いを事ある事に傍にいる人々にお伝えしながら日々生活していた所に多くの方々が感銘し私を優しく見守って頂き結果的に支えるつもりの私が支えられる結果となり温かい優しさと感情に育まれ関西弁を聞いたり関西人に接すると今度は私が支える番だと常々思う様な感情が芽生えその想いが関西から一人知らぬ街に働きに来た妻の順子に対して並々ならぬ恩返しの感情が生まれ育ちました。
今もなお関西人が大好きで第二の故郷は大阪府豊中市にあると日々思っています。【大阪人大好き‼️】




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